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ゴミは宝だ

- 可愛い孫娘のために安心できる環境を -

もし余命1年と宣告されたら
潤いのある生活を
こう考えています
ゴミからメタンやメタノールを
長期的展望を
二酸化炭素を減らそう
江戸に学ぼう


 
ページのトップに戻る もし余命1年と宣告されたら

 もしあなたが余命1年と宣告されたら、どうしますか?きっと思いっきり生きようと考えるでしょうね?きっと充実した1年でしょう。夫は妻のことを、妻は夫のことを思い、親は子のことを考え、子は親のことを思いやるでしょう。お互いに助け合って、一生懸命に生きようとするでしょうね?どう生きるか、それは人それぞれですが、私はこんなふうに考えました。

 可愛い孫のももちゃんに、住み良い環境を残してあげたい。残すと言うのは消極的だ。もっと積極的にいい環境に作り変えてあげたい。政治家や官僚には任せておけないんだから、自分たちの力でやらなければならない。まず自分からはじめよう。自分のやり方や考え方と同じような考えの人たちと手をつなごう。それには先ず自分の思いを発信することだ。


 
ページのトップに戻る 潤いのある生活を

 良い環境とは、地球に緑を取り戻すことだけではありません。人の心と生活に緑を取り戻すことも忘れてはならないでしょう。潤いのある生活に支えられなければ、なかなか周囲を思いやれませんものね?潤いのある生活ということで、おこがましい限りですが私の趣味の世界をお見せしてきました。

 潤いのある生活は、学生や生徒の勉学の場にも必要です。しかしゆとりとは、学習量を減らすことではないはず。将来を見通す目のない官僚や教師は、本質を見過ごしています。理科や算数、数学の授業内容を減らすことでゆとりの時間を作ったとしても、それでは将来への不安しか残りません。安全な環境作りのためにも、次の世代には理数系をしっかり勉強して欲しいでしょう?


 
ページのトップに戻る こう考えています

 私たちは死を宣告された病人ではありません。しかし死は確実に訪れてくるもの、誰にも避けられないものです。安閑と毎日を送っている誰もが、実は死の宣告を受けているに等しいのです。そして死は、いつ訪れるか分からないものです。余命1年と宣告された病人よりも先立つかもしれないんですよ。だとしたら、愛する人々のために、真剣に生きるしか残された道はありません。

 私は今様仙人を自称していますが、決して世捨て人ではありません。道教で理想の人間像を仙人と表現したものを現代ふうに解釈すれば、すべての人々や物と共生し、真剣に生きようとする人に他ならないと考えています。それは人生を真に享楽することでもあります。自分を大切にし、自分を愛することのできない人は、他人を大切にし、他人を愛することもできません。そういう意味で、私はすごいエピキュリアンです。この点には疑問もあろうかと思います。でも本当に良い刀は、硬いだけの刃物ではいけないんですね?弾力がなければ、欠けて折れてしまうんです。

 欲張りですから、現代の錬金術師とも自称しています。ここで提案することが錬金術の最大の業であると思います。そうでしょう?ゴミをエネルギーに変え、化石燃料への依存を極端に少なくしようと言うんですから。鉛から金を作る以上の大事業です。

 ゴミ問題をゴミ処分や減量として考え、温暖化を二酸化炭素排出の削減とらえていては、個々の問題も解決しません。大切なことは、地球に住む人間として、全体をとらえて考えなければならないことでしょう。ゴミをエネルギー問題としても、環境問題としてもともにとらえることで、先の開けた解決策が見えてくるのではないでしょうか?ここで提案することは、今のところ机上の空論です。しかし現実のものとなり得るものでもあるはずです。

 同じような考えの人はもちろん、違った考えの方も、一緒に考えていただけませんか?地球を救おうなんてだいそれた仕事ではありません。自分と自分にかかわる人たちにいいようにと心掛ける、簡単なことです。まず自分のために少しずつ変えていきましょう。結局それが孫娘のため、皆のためですから。


 
ページのトップに戻る ゴミからメタンやメタノールを

 今私が考えている環境問題の解決案は、正に現代の錬金術です。ゴミの中の繊維などの有機物からメタンガスとメタノールを作ることです。各家庭にディスポーザーを設置させ、生ゴミを粉砕して下水に流し、末端処理場でメタンを生成します。生ミ処理の石油も大幅に減少します。メタンはCH4Hという、炭素の少ない、水素の多い物質で、無色、無味、無臭の気体です。燃料として、石油石炭などの化石燃料に比べて二酸化炭素の発生量が少なく、熱効率も高いものです。どちらも自然との共生に欠かせない、微生物との共生である発酵によって製造することが可能です。

 メタノール(CH3OH)は木精とも呼ばれ、エタノールが酒精であるのと好対照です。炭素の比率の少ない燃料であることはメタンと同じです。木は線維素などの炭水化物が主成分ですから、紙や生ゴミ、廃材、し尿などの主要な成分です。化石燃料の消費を減らすばかりか、二酸化炭素の排出を減らし、ゴミの焼却を不要にすることで、環境ホルモンの発生を止めることにもつながるわけで、いいとこ尽くめのはずです。

 残念ながら、すでにばらまかれ蓄積された環境ホルモンを、無くす方法が今のところ考えつきません。どうすれば回収できるか、化学に無知な私には、想像もつきません。どなたか教えてくれませんか?一度排出された毒物を、どうやったら回収して無害化できるのでしょうか?もしそういう方法が未開発であるならば、いち早く環境ホルモンや毒性のある、あるいは毒性の未確認の物質の排出を停止すべきではありませんか?

 2001年12月27日の読売新聞は、朝刊第1面のトップで「工場電源に燃料電池」という見出しのニュースを報道しました。去年は21世紀最初の年でしたが、暗いニュースが多かったですね?このニュースは唯一最高の贈り物だったと言えます。汚水処理についての明るい未来を象徴しています。関連記事を含めての詳細は、『ゴミは宝だ』をご覧ください。


 
ページのトップに戻る 長期的展望を

 プラントの開発と建設には莫大な費用がかかるでしょう。しかし現在のゴミ処理に要する施設の建設と維持のための費用、焼却用燃料のコスト、大量の二酸化炭素の排出、ダイオキシンなどの有害物質の排出を考えれば、メタンやメタノールによってゴミを有効利用し、し尿の処理も行え、長期的には、はるかに安価につくでしょう。メタンやメタノールを作った残りかすは、安全な液肥と無機質の外に、最終的には発酵し切れなかった僅かな炭水化物が残るだけでしょう。これはもう燃す必要のないものです。融け出さないようにセメントなどで固めて、埋め立て材料にすれば安心です。

 メタンやメタノールは、どちらも自動車の燃料としても有効です。メタンは天然ガスの主成分ですから、すでに安全な自動車用燃料として注目されています。さらに、現在世界中で研究の進められている燃料電池の燃料には、メタノールが最も有効です。水素ガスも着目されていますが、水素は水を電気分解して得られます。電気分解に使う電気は、火力発電もしくは原子力発電によらなければなりません。自然との共生で得られたメタンやメタノールのほうが安心でしょう?

 現実に自宅にメタン発酵槽を作って、メタンを自給自足している有機農法の農家があります。佐賀県の天地農場さんです。ぜひホームページをご覧になって、個人レベルでも可能であることを実感して欲しいものです。天地農場さんでは、現在はメタンが有り余っている様子です。脱硫して液化することができれば、営業も不可能ではないでしょうね?

 メタンは温暖化ガスの一つでもあります。自然発生と放散を防ぐことも大事なことですね?東京湾に作った埋め立て地跡のゴルフ場を例にとれば、火気厳禁の立て札があるそうです。不完全な処理の汚泥や生ゴミを廃棄し埋め立てたものからメタンが発生しているからです。発生したメタンは大気中に拡散して、地球温暖化の原因の一つになっています。だったら最初からきちんとした施設でメタンを発生させ、パイプラインや液化して輸送すれば、燃料消費地で水と二酸化炭素に変えることができます。


 
ページのトップに戻る 大気中の二酸化炭素を減らそう

 でもそれだけでは十分とは言えません。化石燃料は、気の遠くなるほど遠い昔に、微生物によって二酸化炭素から作られ、地下に眠っていました。私たち現代人が短期間で化石燃料を浪費した結果、大気中の二酸化炭素が異常に増加したのです。単なる温暖化防止という消極的なものとしてではなく、地球環境から積極的に二酸化炭素を減らさなければなりません。それには木々を育むしか方法がありますまい。かつて森に覆われていた大地は荒廃しきっています。少しずつでいい、木を育てましょう。一人が毎年一本ずつ育てれば、やがて地球は木々で一杯になります。万一木が増え過ぎるようなことがあったら、炭にしてまた地中に戻してやればいいことです。そんなふうになったら素晴らしいですね?

 化石燃料の使用を止めることも必要です。メタンやメタノールの燃焼でできた二酸化炭素が再び植物に貯えられ、その一部が紙や建材として使用済みとなったものから、さらにメタンやメタノールを生成すれば、化石燃料への依存は極めて少なくなります。メタンは生ゴミやし尿からも創りだせます。こうすることで、本当のリサイクルが行われるのではないでしょうか?このようなリサイクルこそ、自然からの恵みをいっそう価値あるものにする、正に現代の錬金術です。

 研究者たちに望みたいのです。学問の世界で認められるよりも、特許をとって金もうけをするよりも、現代の錬金術師になって、孫子の世代によい環境を作ってやるための研究をしてみませんか?私たちの、そして世界中の子供や孫が、安全で快適な生活の送れるような、そんな環境を作ろうではありませんか?


 
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 江戸時代の江戸は、都市の規模として世界第一級であったことを誇りとしていません。むしろ徹底したリサイクル・リユースの社会であったことを誇りとします。上水道は完備し、し尿処理は完璧でした。ユーゴーはレ・ミゼラブルの冒頭で、長々とパリの下水道のことを誇らし気に賛美していますが、パリの下水道はセーヌ川への垂れ流しだったんです。江戸は違いました。長屋の便所からも、街中の公衆便所からも、し尿は肥料として幾許かの金銭に変えられました。「金肥」という言葉は、金銭で取り引きされる商品であったことを物語っています。それに引き換え、現代のゴミ処理は莫大な費用と膨大な化石燃料を必要とし、生み出すものは有害物質と危険な埋め立て材料だけだとは、情けないことではありませんか?

 ゴミやし尿から作ったメタンガスで、発電したり調理や暖房の熱源にしたり、排気ガスは安全な水と炭酸ガスだけという燃料でドライブを楽しめる時代が来れば、江戸の社会に負けずに誇れると思います。昔の仙人は霞を食べて生きることが夢だったそうですが、現代の仙人は、ゴミやし尿を燃料や電気に変えることが夢です。壮大な錬金術ではありませんか?夢の実現される日の一日も早いことを祈っています。


 拙いページにアクセスしてくださり、長々とお読みくださったことに心からお礼を申し上げます。つきましては、地球環境と健康を考えて問題提起をしている素晴らしいページがあります。『学びと環境の広場』です。ぜひご覧になってください。



更新:2004.4.10

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