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- 燃料電池の時代が始まろうとしています -

生ゴミ、汚水、廃水が温暖化を引き起こしています
それでもメタンハイドレートですか?
愛する人のために、もう止めませんか?
生ゴミ、汚水、工場廃水からメタンと液体肥料を作る
燃えるゴミからメタノールを作る
燃料電池は液体水素ではダメ
液肥も活かしましょう

2001年12月27日の読売新聞は、朝刊第1面のトップで「工場電源に燃料電池」という見出しのニュースを報道しました。2001年は21世紀最初の年でしたが、暗いニュースが多かったですね?その中でこのニュースは、最高の贈り物だったと言えましょう。三菱系のキリンが丸紅と契約したことにも、これまでの枠を越えた新しいうねりが感じられます。




 
ページのトップに戻る 生ゴミ、汚水、廃水が温暖化を引き起こしています

 家庭の台所から出る雑廃水やし尿などの汚水や、工場から排出される廃水には澱粉質や線維素などの炭水化物が含まれています。これが自然界の微生物によってCH4という分子式をもった物質に変えられ、大気中に放出されていきます。この物質は無色無味無臭の気体で、二酸化炭素の30〜100倍の温室効果があると言われているメタンです。つまり私たちの出したし尿も生ゴミも、温暖化の大きな原因の一つになっているのです。私たちは被害者であると同時に、これまでどおり生きていく限り、加害者でもあるのですね?

 メタンは、燃料として石油やガスに代わり得る優秀な物質です。天然ガスの主成分もメタンです。現在燃料として使われているプロパンは、石油と同じく古代からの生物の遺産ですから、いずれ使い切ります。それよりも何よりも、一般にクリーンなエネルギーというまっかなウソの宣伝がまかり通っていることも問題です。何ら反省を加えようとしない石油業界と関係官庁に責任がありますが、私たちも誤解や思い込みを排して、一緒に考えてみようではありませんか。




 
ページのトップに戻る それでもメタンハイドレートですか?

 官界や産業界には、石油がダメならメタンハイドレートがあるさ的な発想が見受けられます。nhkテレビでも、あたかも夢のクリーンエネルギーであるかのごとく報道していました。これも大変な誤りですね?大気中の二酸化炭素を増やすことに変わりがありませんから。

 メタンハイドレートとは、水の分子がメタンの分子を抱え込むように閉じ込めた状態で、海底にゲル状の層になって堆積しているものを言います。何十億年という気の遠くなるような太古から、微生物が作り溜めて貯えた、いわば炭素の貯金です。石油や石炭、天然ガスといった地下資源と何ら変わらない化石燃料であることを忘れてはなりません。私たちは子孫の安全のためにも、もう化石燃料を掘り出したり使ったりしてはならないのです。




 
ページのトップに戻る 愛する人のために、もう止めませんか?

 人類はこれまで自然界にある樹木を燃料としてきました。インド亜大陸から西にかけての地域は、かつては緑に覆われていましたが、先史時代からの森林伐採が原因となって、今日では荒廃した大地になっています。あの地に住む人々は、祖先が知らず知らずに犯した愚行のツケを払わされているのですね?

 産業革命後の先進国では石炭を燃料としてきました。20世紀中ごろからの石油消費拡大と相俟って、酸性雨の大きな原因となって生物界にのしかかってきています。石油化学はさらなる「進歩」をとげました。塩素という、そのままではなんの不都合もない物質と化合させたのです。その結果オゾン層が破壊されたり、ゴミの焼却によって環境ホルモンが排出されたりして、生物界の存続が危ぶまれるという、予期しない事態に陥っています。

 人間は、20世紀後半には原子力という新たな火を手に入れました。が、これは悪魔の火であることに疑いありません。それまでの火は、炭酸ガスと灰や炭、それと僅かな酸化物を残すだけでしたが、原子力は違います。燃え尽きることなく、さらに強力な放射性物質として生き残るのです。しかも放射能に触れたものを放射性物質に変えてしまいます。原子炉から出た放射性の物質や使用済みの核燃料が、かつて自然界に存在したことのない悪魔の物質として孫子の代に累積されていくのです。そんな恐ろしいツケを、私たちの愛する人々に残していっていいのでしょうか?




 
ページのトップに戻る 生ゴミ、汚水、工場廃水からメタンと液体肥料を作る

 これまでの生ゴミ処理は、最終的には焼却するものです。つまりゴミや汚水に熱を加えて乾燥させ、燃してしまおうというものです。しかしそのためには電力と膨大な量の石油が必要です。しかも処理以前の段階でのメタンの発生を押さえることができません。つまり、ゴミを燃すこと、石油を使うこと、メタンを放出することという三重のロスがあるわけですね?

 冒頭に述べた読売新聞の記事の燃料電池は、この三重のロスを一挙に解決し、しかも遠くない将来には1基あたり20万キロワットの電力を生み出そうというものです。一挙両得などという生易しい解決ではありませんね?そればかりでなく、送電線が要らなくなるでしょうし、工場のみならず家庭や自動車の燃料としての可能性も秘めています。これまでの内燃機関の燃料としても、ガソリンや軽油に比べるてエンジン潤滑オイルの劣化がほとんどありませんし、水と二酸化炭素以外の排出はありません。そのうえ石油資源の無駄使いを減らすことになりますね?

 さらに加えるべきことがあります。メタンの発生の過程で液体肥料が得られるうえ、残渣は微量になります。残渣の処理は焼却した場合に比べると、ずっと容易になると考えられます。生ゴミとし尿は人間生活から切り離せないということを考えれば、ゴミ焼却場や汚水処理場を改造していくことでメタン発生プラントを建設することこそ、ゴミ処理に悩む自治体の長期計画の主幹とすべき課題であろうと思います。そうすることで、私たちは加害者でも被害者でもなくなるのではないでしょうか。




 
ページのトップに戻る 燃えるゴミからメタノールを作る

 紙や木材からは、これも微生物の力を借りてメタノールを生成することができます。メタノールはメチルアルコールとも言い、CH3OHという分子式で、メタンに近い物質です。メタノールは液体ですから、自動車用の燃料電池の燃料として最適です。ガソリンに比べると水と親和性があるので、万一の火災でも放水で消すことが可能です。ガソリンスタンドがメタノールスタンドになる日が待ち遠しいですね?

 私自身かつて酒造りを生業としていた立場から考えれば、メタノールのプラントは比較的容易であると思います。しかし規模の点で、私企業に委ねず、自治体が中核となって実践すべきでしょう。そもそも自治体には前例主義に加えて、依存体質と先送り体質があって、これまで全ての点で立ち後れていました。掛け声だけでなく本気で地方の時代を考えるなら、一日も早く取り組むべきでしょう。




 
ページのトップに戻る 燃料電池は液体水素ではダメ

 燃料電池は、水の電気分解のちょうど逆の原理です。電気分解では水の電極に電流を流すことで水素と酸素に分解しましたが、燃料電池ではメタンやメタノールの分子の中の水素と空気中の酸素が結合することで電流を発生させます。従って単純化すれば、水素を燃料として電流を発生させる装置と言うことができます。

 水素を高圧で液化して、燃料とするものも自動車用のエンジンとして試作され、夢のクリーンカーとして宣伝されています。がしかし、水素は自然界では化合物としてしか存在しません、わずかに製鉄場の副産物として得られはしますが、全てを賄うにはあまりにも僅少です。不足を補うには、水を電気分解して得るしかありません。その電気は、火力発電では石油石炭などの化石燃料を使っていますし、原子力発電では放射性元素を増殖させています。つまり見た目の排気ガスがクリーンになっただけで、地球の温暖化も核燃料廃棄物の問題も何ら解決されていません。まったくの欺瞞ですね?燃料電池の燃料は、汚水やゴミから発生させたメタンやメタノールに限るべきだとは思いませんか?




 
ページのトップに戻る 液肥も活かしましょう

 メタン発生の過程で得られた液体肥料は、無農薬で地球上の緑を増やします。江戸時代の江戸では、ふん尿が肥料として取り引きされました。しかも価値あるものとして対価を得ていたからこそ「金肥」と言われたのです。液体肥料は対価を必要とはしませんが、優秀な肥料として世界の緑化に資するでしょう。緑の木々を増やすことは、とりもなおさず大気中の二酸化炭素を減らすことに他なりません。

 生ゴミや汚水からメタンを発生させることが緊急の課題だと話したことがあります。そのころは夢物語だと笑われましたが、燃料電池の時代はもう始まろうとしています。同じ日の読売新聞の関連記事をご覧ください。

 電力産業は二酸化炭素の排出が全体の6割と多く、自力で削減するのが困難とされています。削減できない分を他国の企業から買おうという、姑息な手段を講じようとしています。何ということでしょう?火力発電を止め、生ゴミや汚水から生成したメタンやメタノールで発電し、副産物の液肥を活用して砂漠化の進んでいる地域に植林するなどによって、容易に予定された枠以上の削減が可能ではないでしょうか?同じ日の記事にあるように、石油や石炭の採掘に伴ってメタンなどのガスが出てきますが、これとても回収して精製し、燃料電池にも都市ガスにも使うことができます。キリンに見習うべきですね。

 燃料電池と液体肥料で二酸化炭素の排出を減らし、地球に緑を取り戻そうという願いをさらに押し進め、さらに広めていくことで、愛する人たちに安全な未来を確保できるのではないでしょうか?


2002.1.31 初回掲載

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