クレオールとは何だろう

日本語はクレオール言語だろうか?

 岩波セミナーブックス77に『クレオール語と日本語』というのがある。著者は一橋大学名誉教授の田中克彦氏で、帯に“日本語はクレオール語”と大書されていて、その下に“言語としてのクレオール語の意味とクレオール語と日本語の関係を説く。”とある。これを見る限り、日本語はクレオールであると断定していると言えよう。だがしかし、第六講「日本人とクレオール語」で、“しかし、私にとっての最も深い関心は、クレオール語が、その構造において日本語に似ているという点です。こう言ったからとて、私は日本語の混質性だの、日本語のクレオール的起原などについて説くつもりは全くありません”と述べている。何というロジックの破綻だろう!

 本の帯は著書の内容を凝縮したものであるはずで、“日本語はクレオール語”が結論ではないのだろうか?私の僅かな経験から言っても、出版社のつけたものだから著者の関わり知らないことだとは思えない。“日本語のクレオール的起原などについて説くつもりは全くありません”と言いつつも、読者を“日本語はクレオール語”という結論に誘導しようとしているとしか言えまい。大変ずるい方法だと思うが、いかがだろうか?

 氏は言外の、と言うよりも、帯で読者に先入観を与えて、実質的に日本語はクレオールであるとしているものと思われる。がしかし、日本語は本当にクレオールなのだろうか?だとすれば、どんな言語のクレオールなのだろうか?




クレオールとは何だ?

 田中氏はクレオールとは何かを定義することなく、議論を進めている。読者が読み進むなかで把握することを期待していると言うのである。新たな概念を示す方法としては、やはり定義付けも必要なのではなかろうか?

 筑波大学名誉教授で文学博士の小松英雄氏は『日本語はなぜ変化するか』で、“英語を話す人たちが島や海岸地域にやってくると、土地の人たちが片言の英語を覚えて取り引きが始まる。そういう接触では、当然ながら、文化程度が高く、文明の進んでいるほうが優位にたつ”と述べ、“接触が濃密になると、土着の人たちは日常言語にも英語を大量に取り入れる。ただし、発音や文法は自分たちの言語に大幅に近づける”として、この段階の変質した言語をピジン英語と呼んでいる。文化や文明に順位をつけていることにも反感を覚えるが、取りあえずその問題は置くとしよう。

 さらに“英語を話す人たちに子供がうまれれば、それが子供たちにとっての母語になる。そのような状態が続くうちに、独自の音韻体系が形成され、独自の文法体系が形成されて、新しい言語になる”と続け、この新しい言語をクレオールと呼んでいる。

 ピジン言語を日常生活で使う必然性は何だろうか?田中氏の説にも小松氏の説にも、その点が欠落している。土地の人たちが、母語ではなくピジン英語を日常に使わなければならないのは、どんなときだろうか?これはピジン言語の発生のメカニズムをも含む重要な鍵である。

 P. トラッドギルは『言語と社会』の中で、“本当のピジン言語が明確な形となって発達しやすい環境というのは,おそらくこのような場での接触が三つ以上の言語の間に起こる場合であろう.その時優勢言語の話し手とその他の言語の話し手との接触が非常に少なく,しかも不完全な形で習い覚えた優勢言語が,非優勢言語の話し手の間で共通語として使われているような場合には,ピジンが発生しやすいことが容易に分かるであろう”と述べている.この環境はクレオール言語の発生にも必須の環境であって、例えば、英語以外の異なる言語を母語とする男女の結婚が普遍的であれば、ピジン言語を母語とする世代の誕生が期待される。

 田中克彦氏は、“クレオール語とは、全く文法構造の違う言語を母語とする話し手どうしが出会って、そこで話しが通じるように、おたがいに工夫しあってやりとりしているうちに、最終的に生まれた新しい言語”と断言し、「全く文法構造の違う言語」に傍点をつけて強調している。氏はさらに、“たとえば、日本語と朝鮮語とか、トルコ語とモンゴル語との間にだって、その中間言語のようなものが生まれるはずだし、さらに言えば、中央語(標準語)と方言の間にさえ生まれるはずだという議論は起こり得ますが、そういうケースが、従来のクレオール研究がほとんど視野に置いていません”と付け加えて、文法構造の類似する2言語間では、クレオール研究の対象としていない旨を述べている。

 だが、文法構造の同じ言語は存在しない。文法構造の違いを問題にするとき、どの程度をもって「全く文法構造の違う言語」と呼ぶことができるのだろうか?語彙が違い、音韻組織が異なるだけで、文法構造が同じという言語を私は知らない。日本語と韓国・朝鮮語がいかに似ていると言っても、せいぜい語順が類似するにすぎない。この二言語間の相違は、日本語と英語の違いと、さして変わるものではない。動詞や形容詞などの用言の活用の違いは、全く文法構造の異なる言語であることを示している。クレオール研究の視野においていないということは、そこまで研究の範囲が及んでいないだけであって、語順の類似する言語間でも、クレオールの誕生はあり得るし、事実あったと断言して差し支えなかろう。

 一言加えれば、言語の系統を考えるとき、語順は重要ではあるが、必須の要件とならないこともある。イタリア語などのラテン語系の言語では、形容詞は普通は名詞の後ろに置くが、英語などのゲルマン語系の言語では、形容詞は名詞の前に来る。英語とイタリア語の文法構造が全く異なることは、学習者の誰もが知っていることだが、どちらも同じ祖語から出た、いわば血縁関係のある言語である。田中克彦氏は、こういう違いついてどう考えているのだろうか?


基層と上層

 複数の言語が混じりあってピジン言語からクレオールとなったとき、失われた言語を基層または基層言語と呼び、基層となった言語にかぶさって、新しい言語の語彙などの主たる素材を提供した言語を上層または上層言語と言う。単語の並べ方などの語順は、おおむね基層言語のやり方により、多くの場合、造語法も基層言語の語順を踏襲する。音韻体系は基層言語と、ほとんど変わることがない。つまり基層となった言語は、言語そのものは失われたが、発音は新しい言語に引き継がれるのである。

 上層と基層の言語が全く別の言語であるからこそ、クレオール言語が誕生したのであるが、新しい言語であるクレオールは、分類上はどちらの言語に属すのだろうか?パプアニューギニア(PNG)の言語が基層になり、英語が上層となってできたトクピシンは英語の方言だろうか、それともPNGの土着言語の方言なのだろうか?私の見解では、トクピシンは新しい言語であって、英語でもPNGの土着言語でもない。クレオールは生まれるべくして生まれた新言語であって、系統論の存立し得ないものあると考えている。従ってもし、日本語がクレオールであるとするならば、系統論とはおのずから袂を分かつ性質のものであると考えている。

 上層言語とクレオール言語との間には、音韻の対応が存在する。これは上層の言語の発音を受け止める際に、基層となった言語の手持ちの音韻で受け止めるからである。基層の言語の発音の形式や傾向はクレオールに受け継がれて、新たな言語としてもなお、基層言語の音韻をほぼそのまま止めるのが普通である。


クレオール説にも色々ある

 ある言語がクレオール出自であると断定するには、下層言語と上層言語をも特定しなければならない。特に上層言語とクレオールの間には、音韻の対応が証明される必要がある。クレオール化した歴史的事実の記憶されていない時代のことであれば、上層と基層の言語を推定し得るデータをもって示さなければならない。田中克彦氏が“日本語はクレオール語”とするならば、納得できるような上層と基層の言語を推定すべきである。

 小松英雄氏は、“複数の言語を話す南方系の人たちが定住して、互いに交渉をもつ状態にあった日本列島に、彼らよりもずっと文化程度の高い民族が北方から移住してきた。その段階における舞台は西日本である。平和移住ではなく、おそらく、武力による征服/支配であった。その流れも多次にわたり、いくつかの、あるいはいくつもの言語が関わったであろう”と推定する。さらに“少数の北方系民族が多数の南方系民族を長期間にわたって支配する状態が続くうちに、ピジン言語の段階を経てクレオール言語が形成されたとすれば、そのクレオール言語こそ原日本語(proto-Japanese)にほかならない”と言う。

 小松氏は具体的な証拠無しに大胆な想像を述べているが、“クレオール言語が形成されたとすれば”という仮定的条件をもって発言の責任回避をしている。氏の見解は歴史観に欠け、建設的な仮説ではない。日本語が南方言語を基層とするクレオールであるとするならば、日本語のどのようなところに南方系の要素が残っていると言うのだろうか?上層となった北方言語の語彙の発見がほとんど悲観的だというのは、どうしてだろうか?

 日本語クレオール説で忘れてはならないのは、大野晋氏である。氏は『日本語の形成』で500以上の対応語を提示し、日本語の音韻の根幹である拍や、濁音のもつ鼻音との対応をも説明して、日本語はタミル語を上層とするクレオールであると断定した。魅力的な説ではあるが、残念ながら私には賛成も反対も表明できない。A5版767ページの大著を読破するのは容易でない。立場を換えれば、著作には何十倍ものエネルギーを要したのは間違いのないことで、氏の情熱には心から感服する。

 日本語にはクレオールの時代があったかもしれない。あるいは言語による征服を経験しなかったかもしれない。もし仮にクレオール化が行われたと仮定すれば、縄文時代のことであろうか、それとも弥生時代の曙であろうか、はたまた後期古墳時代を招来したという北方騎馬民族の時代であろうか?決め手を欠いたままの結論は、避けるべきであろうが、私もいずれ論争に参加したいと思う。


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