蕎麦は天の贈り物


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▼ 蕎麦は地球を救う ▼ 蕎麦はプラチナにあらず ▼ 蕎麦とうどんはこうも違う ▼ 蕎麦打ちはやさしい



蕎麦は地球を救う

大袈裟なようですが、蕎麦は地球の人類を救うと信じています。よく聞くでしょう?蕎麦しか育たない荒れた土地だって。言い換えると、荒れた土地でも蕎麦は育つということです。そのうえ種を播いてから収穫までの期間がとても短いんです。これは大変なことですよ!今、地球は急速に砂漠化しています。そこへもってきて、人口も異常な速さで増えていってるでしょう?いずれ遠からぬ先に食料危機がやって来ます。地球規模で考えれば、すでに食料生産は不足しているんですから。砂漠に緑を取り戻す植物としてクズが注目されていますが、蕎麦だってクズ以上に有用です。その証拠に、エジプト産の蕎麦が輸入されていますし、かってフランスのブルターニュの大飢饉のとき、干害でも育つ蕎麦で作ったクレープで、人々は飢えをしのいだんです。その名残りがブルターニュの蕎麦クレープですから。

動物性タンパクは、山羊がお勧めです。山羊は動物界の蕎麦のような存在で、粗末な草を食べて立派な肉を供給してくれます。蕎麦には有用な植物性タンパク質が豊富に含まれていますが、動物性タンパク質は別個に求めなければなりません。荒れ地で蕎麦を栽培し、かたわら山羊を放牧するのも、牧歌的で絵になるような光景ですね?でもねぇ、山羊が蕎麦の芽を食べちゃったらどうしましょう?二律背反、夢の実現には、やっぱり苦労が要ります。

昔むかし縄文時代には、蕎麦も食卓(?)にのぼっていました。たぶん荒い粉に挽いて、熱湯でねるようなことをして食べたものと想像されます。三内円山遺跡からは、炭化した蕎麦も出土しています。今から5500年から4000年前の1500年間続いた大集落です。山形県の押出(オンダシ)遺跡からは炭化したクッキー状のものまで出土しているんですよ。残留脂肪酸を分析した結果、シカ、イノシシ、野鳥、野鳥の卵、クリ、クルミを混ぜて作ったものと分かりました!シカ・イノシシを牛豚肉、野鳥をニワトリと置き換えれば、現代にも通じるものです!縄文時代に対する評価は、単純な狩猟採集文化から大きく変わってきています。

縄文時代は穀物を食べたり貯蔵したりするための土器と共に出現しましたから、1万5000年前にも蕎麦は食べられたことでしょうし、これから先も食べ続けられていくでしょう。日本式の麺としての食べ方も世界に広まっていくと思います。1万5000年前は無土器文化とされていましたが、土器片についていた炭化物の中の放射性炭素の測定で、世界最古の土器と考えられるものが発見されています。定説では縄文時代のはじまりは1万2000年前とされますが、先行する文化をこれまでのように無土器文化と定義すれば、縄文時代のはじまりは、ずっと早かったのかもしれませんね?


蕎麦はかってのプラチナにあらず

おや、また前置きが長くなりました。蕎麦やうどんの手打ちなどの麺道楽を現代の錬金術と称する理由は、重要な食料資源としてばかりではないんですよ。もちろん食料としての価値はそのままとして、金銭的にも錬金術の業の振るいどころです。私の言う錬金術は、無から有を生じさせたり、鉛を金に変えたりする業ではありません。あれは昔のことで、凄い失敗をしているんです。ラテン語からの語根に plat-, plan-「平らな、平たんな」があます。plateau「高原台地」などです。凹凸のない平たんなものは「醜い」し「価値もない」と見なされ、plain「はっきりした」には、遠回しに「醜い」という意味もあります。イタリア語では pl が pi になり、これから piano「ピアノ」も英語に入りました。さて金ばかり重要視する古の錬金術師たちは、金を精錬する過程で、金に似てはいるものの、色の白い金属を副産物として見つけました。これを「価値のない金属」として platinum と名付け、何と海に捨ててしまったんです!もったいない、今日のプラチナです。


現代の錬金術では、そんな無駄で、もったいないことはいたしません!金銭で計っても、情緒的な面から見ても、無駄のない行為です。そうでしょ?お客さんとして接待されるとき、「ようこそ!」と言われて亭主の手になる自家倍煎のコーヒーを賞味しながら、面前で打った蕎麦をご馳走になったら、誰だって嬉しいでしょう?心からのもてなしこそ、現代の錬金術です。喜びこそ最大の賞賛です。これがあるから止められないんですよ。


経済的な面は、計算が楽です。蕎麦粉1キログラムが500円から1200円。中をとって1000円としましょう。100%の蕎麦は食べにくいにので、小麦粉5割の五分蕎麦として計算してみましょう。初心者でも大丈夫な割り合いです。小麦粉は強力粉がつながりがいいので、それを使いましょう。1キログラム168円です。もっと高い?それじゃ200円として計算しますか。ゆでる前の麺としては1人前120グラムです。スーパーで生麺を買えば、2人前400円前後でしょうか?蕎麦は粉だけでは打てません。そう、水を普通42%加えます。食塩や山芋などはツナギに使わないほうが、繊細できめの細やかな麺に仕上がります。もうこれで計算できるでしょう?


1キログラム1000円の蕎麦粉に1キログラム200円の小麦粉を加え、それに水840グラムを加えると2840グラムの麺ができます。金額にして1200円です。何人分ですか?23人分ですね?1200÷23=52.17。一人前が52円!どうですか、これが錬金術でなくして何と言うんでしょう。エッ?そんなのただの節約じゃないかって?申し訳ないんですが、蕎麦屋さんの蕎麦よりも美味しいし、安いものが作れるんですよ。そうか、つゆの値段も入れなければ。これは削り節を作る店で、機械にかけられないような厚さになったフレーク状のものを買ってくれば、削ったカツオ節よりも安くて美味しいものができます。


うどんは薄力粉が適するので、もっと凄いことになります。薄力粉は特売で1キログラム100円のこともありますが、ふだんは168円でしょう?沖縄ではカンスイを入れるんですが、その他の地域では食塩を入れます。つまり5〜10%の食塩水を作って、これでこねるわけです。薄力粉1000グラムにつき、5%の食塩水440グラム程度を加えます。合計1440グラム、168円少々になります。うどんも1人前120グラムとすれば、1440÷120=12。168÷12=14。何と一人前が14円ですよ!スーパーで買ってごらんなさい、1人前200円です。お店で食べれば、いくらするんでしょう?ね、これは正に錬金術ですよ、ねぇ?



蕎麦とうどんはこうも違う

同じ麺でも、蕎麦とうどんでは大きな違いがあります。うどんは、こね玉を一晩じっくり寝かさなければなりませんし、麺に打ってからも一晩寝かせたほうが美味しくなります。こね玉を寝かせるのは、小麦粉に含まれるグルテンという小麦タンパク質の活性化を防ぐため。打った麺を放置するのは、麺に含まれる細かな気泡が抜けていくのを待つため。ですから、うどんを食べようと思ったら、3日前から準備すると最高の麺を賞味できます。でもねぇ、いくら寝かせれば美味しくなるったって、1週間も経てば空気も抜け過ぎですよ。スーパーのうどんが美味しくないのは、息の抜け過ぎです。人間もそうでしょ?息抜きをし過ぎるとだらけてしまいませんか?


蕎麦はセッカチです。こねたら待たずに直ぐに打つ、打ったら即ゆでる、ゆでたら間髪を置かずに食べる、食べるときも碌に噛まない。最初から最後までセッカチです。グルテンの心配は要らないし、打ってから時間が経過して気泡が抜けたら、喉越しがうどんのようになって、香りも落ちます。言い換えると、お客さんが見えたとか、急に蕎麦が食べたくなったととき、ソレッと打ったのが美味しいんです。見てる前、待ってる間に打てますから、お客さんのほうもいっそう美味しく感じます。うどんと違って、蕎麦にはこういう触れ合いの楽しさもあります。金銭的価値もさることながら、もてなしの心を何よりも大切にするのが現代の錬金術の真骨頂です。次の蕎麦打ち教室を参考にして、あなたも蕎麦打ちをはじめてみませんか?



蕎麦打ちはやさしい

よく聞くことですが、蕎麦は難しいが、うどんは易しいって言いませんか?あれは真っ赤なウソです!だってそうでしょ?そう言ってる当のご本人は蕎麦打ちはおろか、うどんも打ったことがないんじゃないですか?かく言う私は、つい15〜6年前まで台所に入ったことなんぞなかったんですよ。それがどうして、でしょう?これには切っ掛けがあります。女房どのが病気になって、近々入院するという緊急事態が起こったんです。台所のどこに何があるかさえ知らなかったんですから、これは大変なことになりました。そこで焼そばを炒めることからはじめました。麺を買ってきて、キャベツを切って、ソースをからめて炒めて、ハイ出来上がりという単純なものです。でも、これで味を占めました。台所は主婦の城とか言いますが、こんなに面白いことを独占させておいたということが不思議でなりませんでした。まことに希有なことですが、お陰さまで妻の病気は消えて無くなったんですが、私の台所への興味は、ますます大きくなりました。これが逆でなくて、本当によかった。


今にして思えば、焼そば炒めからうどんや蕎麦打ちに転身したのは大正解でした。人生観まで変わりました。なによりも嬉しかったのは、はじめて打った、ちびた鉛筆のような蕎麦を、美味しいと言ってくれたことです。水加減や切り方は全くの自己流でしたが、三回目には一応のまとまりを見せるまでになりました。今にして思えば頼り無い蕎麦でしたが、「よくできたね」という言葉で自信もついたようです。もし「美味しくない」とか「不味い」と言われてたらどうでしょう?何ごとでも、批判することは容易です。ですけど批判からはやる気が起こりません。ウソにならない程度に誉め、共に喜び、努力に感謝すること、そして少しだけ道を示してやること、これが次の一層よい結果を導きます。子供でも生徒でも、叱ったり批判したりするだけ、あるいは逆に無関心でいるという親や教育者の多いこと。子育てでも蕎麦打ちでも同じこと、難しいと思い、ダメだろうと言い、ただ手を拱いていては前進しませんよね?私が蕎麦打ちを通して学んだ、人生の教訓です。


蕎麦やうどんを打ったり、食べたり、食べてもらったりすることを通して、自分の考え方を変えたこと、これも現代の錬金術だと思います。人類の食を救うかもしれないことと、経済的な効果もあるということを考えあわせれば、大袈裟なようですが、やっぱり蕎麦打ちは錬金術だと考えています。


最後にひと言、お断りを。私流の蕎麦打ちは、邪道と言われる「引いて延ばす」やり方です。もし台所中を粉だらけにする「打ち延ばし」方式しか蕎麦でないとお考えなら、そういうサイトで学んでください。私は邪道こそ我が道と信じていますので、悪しからずご了承ください。引いて延ばすとはどういうことか、ここをクリックすると動画でご覧に慣れます。